「たとへば、こんな怪談ばなし 2 =井戸神様= 後編」  秋山本家での事があった数日後、庄兵の父は相続に関する本を読み漁 っていたが、  「どうも、腑におちん!遺言状を借りてきて筆跡鑑定をしてもらおう !」 と、鼻息荒く秋山本家に乗り込んで行った。  しかし、先方では遺言状の正当性を主張し、遺言状の貸出やコピーを 断ったばかりか、慎太郎配下の血の気の多い部下を繰り出し脅しを掛け てくる始末であった。  「やはり、暴力団とつるんでいる噂は本当なのか?」 と、庄兵の父は家に帰ってグチをこぼしていた。  法律的に言えば、たとえ遺産の全額をよそにもって行かれても、遺留 分と言う物があって、相続人が必ず貰える分を取り戻す事ができる。  その件に付いても、慎太郎側は何か対応策があるらしく、庄兵の父が その件に付いてほのめかしても、鼻で笑っていたそうであっだ。  それ以前に、庄兵の父は県庁に行ってあの土地に建っている建物は江 戸時代に建てられた貴重な建物だから保護しろと掛け合っていたのだが、 残念ながら、慎太郎に先を越されて、建物は解体されてしまった。  庄兵の父と慎太郎が遺産問題についてあれこれやっている最中のある 雨の晩、庄兵は残業ですっかり退社時間が遅くなってしまい、駅への近 道を早足で歩いていると、通りの数少ない街灯の下に、着物姿の女性が 佇んでいるのに出逢った。  庄兵は、その女性の顔を見た途端、恐怖で足がすくんだ…それは紛れ もなく、昨年の新盆の晩に出逢った祖母静の霊であった。  「わーっ、ばあちゃん、いったい俺が何をしたと言うんだーーー!!」  庄兵は恐怖の余りその場を逃げだそうとしたが、足がすくんで進こと も引くことも出来ないでその場にへたりこんでしまった。  「もう、なにいってるのよ!この子は…」  静は呆れ顔で庄兵に言った。  「だって…ばあちゃん、幽霊と言うのはその人物に恨みがあったり、 懲らしめようとすると化けてでるって…」  庄兵の顔はすっかり強ばっていたが、言葉は不思議にもはっきりして いた。  静は庄兵の言葉に一瞬目を点にしたが、すぐに「ほほほ」と鈴を転が すような声で笑いだし、  「そうよ、そんな話しもしたっけね…だけど安心おし、私は化けて出 たのではないのよ」  そうは言われても、にわかには信じがたい庄兵であった。  「第一こんなうら若い美人の幽霊がいるかえ?」  庄兵の目の前に現れた祖母静の霊は若い女性の姿であった。若い頃の 祖母は近所でも有名な美人だったと、祖父のノロケ話に聞いてはいたが、 こうして間近に見ると、結構庄兵好みの女性であった。  「私はね、今度庄兵さんの守護霊としてやってきたのよ」  「守護霊!?」  今度は庄兵の目が点になった。  「そうよ」  静はまた鈴を転がすような笑い声をたてた。  「守護霊はね、時々交代するのよ。その人の人生の転機に併せてね」  「転機?」  「そう…今が庄兵さん、貴方にとっての大切な転機なのですよ」  と、静はニッコリと微笑んで言った。  「そしてこれから貴方がする事は、貴方の将来のために重大な事なの です」  と言葉を続けた。  庄兵はただ呆然として、目をしばたいていた。  庄兵の態度を見て目を細めて笑っていた静だったが、急に真顔になり  「庄兵さん、すぐさま家に行きなさい」 と、庄兵を睨み据えるような目をして言った。  「家って…今から帰るところだけど…」  庄兵はキョトンとして言った。  「ちがいます。家って私の居た家の事です」  静は静かに首を横に降って言った。  「どうして?」  「いいから、早く行きなさい!」  もともと短気者であった静はじれて言った。  「明日じゃ、駄目?」  庄兵はおそるおそる上目遣いで静を見た。  「えーい!い・き・な・さ・い!!」  静は渋る庄兵に怒鳴りつけた。  「…ハイ」  静の気迫に押されて庄兵は蒼い顔をして静の方を振り向かず一目散に 駅に向かって走った。  静が住んでいた家の前に付くと、家の周囲には既にバラ線が張り巡ら されており、立て札には  「保土ヶ谷スカイラウンジ・コーポ建設予定地 秋山不動産」 と書いてあった。  「でも、いったい俺にどうしろというのだろう?」  庄兵は、立て札の前でうろうろしていると  「とっとと、中にお入り」  と背後から実体化した静が言った。  驚いて振り返る庄兵に、静は黙って敷地内を指さした。  バラ線の隙間から中に入ると、  「井戸神様の祠をお移しするのです」  「井戸神様だって?」  驚いて聞き返す庄兵に静は真剣な表情で、  「そう、ここは明日にでも整地されてしまうでしょう、その前に井戸 神様を移すのです。そしてこの祠の中には重大な物が入っています」  「重大な物って?」  庄兵の疑問には答えず、静は黙ってうなづくと、  「早くここを立ち去りましょ」  と言って身を翻したと思ったら、スーッと消えてしまった。  家に帰って、家の人間に気付かれないように井戸神様の祠部屋に持ち 込み、祠を眺めていると、  「庄兵さん、さあ開けてご覧なさい」 と、いつの間にかまた実体化した静が庄兵の背後から囁いた。  庄兵がおそるおそる祠を開けてみると、中には小石と護符と油紙に包 まれた物が出てきた。  「その油紙に包まれた物を開けなさい」  庄兵は油紙に包まれた物を開けると、そこには封書が入っていた。庄 兵は続いて封書を開けてみた…封書には、  『遺言状 星野 平吉』 と書かれていた。  そして、封書の中には祖父の直筆の遺言状が入っており、その文面を 要約すると、あの問題の土地は家をひっくるめて全部庄兵に譲ると書い てあった。  庄兵は驚愕した。  「ばあちゃん、これは…いったい…」  「それがじいさんの本当の遺言状よ。私とじいさんは私が死ぬ前から 可愛い孫の貴方にこの土地と財産を譲る事に決めていたのよ…財産の方 は多く残らなかったけど…貴方なら、先祖の霊を守ってくれると信じて たからね」  静は優しい顔して話しを続けた。  「そんな時、あの慎太郎の話しでしょ?慎太郎の家で聞いた事が変に 思って、霊界に行ってじいさんに逢って話しを聞くと、そんな遺言状を 書いた覚えはないと言うし…じいさん脳卒中で急に逝っちゃったので遺 言状の隠し場所を教える事が出来なくて…それでじいさんに遺言状の隠 し場所を聞き出してきたのよ」  「えっ?じゃあの時の声の主は…」  驚いて聞く庄兵に、静は頷いて、  「じいさん私に手を併せて『スマン』と頭を掻いていたけど…」  と笑って言った。  いくら遺言状が書いた当人がそうだと言っても、言った当人は既に故 人である。ましてや、霊が教えてくれたなど今の世界では十分な証拠に はならない。いわば、遺言状が2通出てきた事になる。  庄兵はどうやったら自分の手にある遺言状が本物で、慎太郎側にある 遺言状が偽物であるかを証明できるか考えたが、いくら考えても一向に 名案が浮かばなかった…静もそこまでは考えてなかったらしく、2人し て困ってしまった…困った挙げ句、庄兵は取りあえず父に静の事を隠し、 井戸神様をお移しすると言う名目で静の家に行き井戸神様を持ってきて 祠を開けたら遺言状がでてきたと偽ってそれを父に見せた。  遺言状を見た庄兵の父は狂喜し、  「よし、これで筆跡鑑定と裁判を起こせる」 と遺言状を握りしめて言った。  早速、翌日庄兵の父は遺言状の正当性を認めさせるために、慎太郎側 の持っている遺言状と星野側の遺言状との筆跡鑑定と遺産の遺留分の訴 えを家庭裁判所に提訴するための準備を始めた。  暫くして、庄兵は祖父母の土地へ行ってみたが、建物は既になく、綺 麗に整地されていた。  近所の人の話しだと、整地するとき慎太郎は  「なにもかも、潰して埋めてしまえ!」 と、声高々に笑い声を上げていたと言う。  見ると井戸神様の祠があった場所も、その隣にあったはずの井戸も綺 麗に整地されてしまっていた。  「なにを、おろかな!今に井戸神様のバチが当たるぞ!!」 と、庄兵の耳元で静の怒りの声が聞こえた。  念入りな準備を終え、ようやく庄兵の父は、慎太郎側の持っている遺 言状と星野側の遺言状との筆跡鑑定ならびに、遺産の遺留分の訴えを家 庭裁判所に提訴した。  庄兵の父は、最初から勝った積もりで、物事がすぐ終わるだろうとた かをくくっていたが、しかし、両方とも遅々として進まなかった…そう している内、慎太郎の思い通りあの土地に建物が建ってしまったが、そ れはなぜか慎太郎の新居になっていた。どうやら、慎太郎は見晴らしの 良い一等地を見て気が変わって独り占めしたかったのだろう…だが、新 居が建っても当の主の慎太郎はその家にはまだ住んでいなかった。  なんでも、慎太郎が原因不明の足の病気にかかり病院に入院してしま ったそうである。  それを初めとして、慎太郎の家族も次々と足にまつわるケガ,病気等 で引っ越しどころではないそうである。  そして、よいよ待望の日になった。  筆跡の鑑定結果は、慎太郎側の遺言状が真っ赤なニセ物と判定され、 裁判は星野側の全面勝訴に終わった。  また、この事件をきっかけに慎太郎の不正土地売買と暴力団関係の事 が明るみに出て、慎太郎は地検に逮捕されてしまった。  事件の後始末を終え、自分の土地になった先祖代々の新居に足を踏み 入れた庄兵は、早速井戸堀り職人を探しだし、埋められた井戸を掘り返 した。  そして、昔のように井戸神様の祠を井戸の脇に祭った。これらは、総 て庄兵の守護霊となった静の指示による物であった。  その後、慎太郎の足の病が不思議にも直ったとの話しを庄兵は聞いた。  再び掘り返された井戸は綺麗な水を満々とたたえ、この家の新しい主 である庄兵の喉を潤した。 =終わり= 藤次郎正秀